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ピーターボロ (オンタリオ州) : ミニ英和和英辞書
ピーターボロ (オンタリオ州)[す, しゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

ピーターボロ (オンタリオ州) : ウィキペディア日本語版
ピーターボロ (オンタリオ州)[す, しゅう]

ピーターボロ(英語:、発音:-bûr'ə, -bər-ə )はカナダオンタリオ州南部、ピーターボロ郡に位置する都市。オンタリオ州東部中央を流れるオトナビー川 (Otonabee River) がピーターボロ市内の東を流れている。
トロントから北東へ125kmほどの場所に位置し、都市の人口は2006年統計で、およそ7万5,000人。広域都市圏のグレーター・ピーターボロ・エリア (GPA) では人口11万6,570人。ピーターボロ郡の郡庁所在地(行政府)が置かれている。現在の市長はポール・エイオット (Paul Ayotte)。
ピーターボロはカワーサ湖群 (Kawartha lakes)周辺を始めとした「コテージ・カントリー」への玄関口として知られ、州内でも 規模の大きい保養地となっている。
(注釈:「"Peterborough"」はアメリカ英語ではピーターボロのほか、ピーターボロー、ピーターボロウと表記する。カナダも同様。イギリス英語ではピーターバラと表記するのが一般的。)''、発音:-bûr'ə, -bər-ə )はカナダオンタリオ州南部、ピーターボロ郡に位置する都市。オンタリオ州東部中央を流れるオトナビー川 (Otonabee River) がピーターボロ市内の東を流れている。
トロントから北東へ125kmほどの場所に位置し、都市の人口は2006年統計で、およそ7万5,000人。広域都市圏のグレーター・ピーターボロ・エリア (GPA) では人口11万6,570人。ピーターボロ郡の郡庁所在地(行政府)が置かれている。現在の市長はポール・エイオット (Paul Ayotte)。
ピーターボロはカワーサ湖群 (Kawartha lakes)周辺を始めとした「コテージ・カントリー」への玄関口として知られ、州内でも 規模の大きい保養地となっている。
(注釈:「"Peterborough"」はアメリカ英語ではピーターボロのほか、ピーターボロー、ピーターボロウと表記する。カナダも同様。イギリス英語ではピーターバラと表記するのが一般的。)
==歴史==
1万1,000年前、氷河期の後退に伴って先住民族の集団がこの地に流れてきた歴史をもつ。ウッドランド族が紀元前約1,000年から西暦1,000年頃まで定住していたとされ、1740年年頃、イロコワ族ミシサガ族がこれに続いた。
1615年サミュエル・ド・シャンプランがピーターボロの少し北、現在のブリッジノースの近くに短期間滞在した。
1818年、アダム・スコットがオトナビー川の西岸に入植し、製材工場と製粉所の建設を始め、「スコットズ・プレインズ (Scott's Plains)」という名の町を築いた。工場は現在のキング通り (King St.) に建てられ、動力となる水源はジャクソン入江から水を引いていた。
1822年イギリス国会アッパーカナダへアイルランドの貧しい人々を試験的に移住させる計画を承認したことに関連して、1825年には、この地にアイルランドコークからの移民が2,000人を超えた。この基本構想は当時の政治家ピーター・ロビンソン (Peter Robinson) によって管理され、彼の功績を称えスコットズ・プレインズを「ピーターボロ」(ピーターの都市の意)に改名した。
世界時標準時)を提案し、カナダ最初の切手をデザインしたサンドフォード・フレミング (Sandford Fleming) が1845年、ジョン・ハチソンとその家族と一緒に暮らすため、この地に移住し1847年まで滞在した。ジョン・ハチソンはピーターボロに住む最初の医者のひとりであった。
ピーターボロは1850年に町制として組織された(当時の人口2,191人)。初期の1850年代後半、町と周辺に数多くのカヌー製造業者が生まれ、1893年にアダム・スコットの工場跡地にピーターボロ・カヌー会社が設立された。1930年時点で、カナダ国内のボート製造業に従事する従業員のおよそ25%がピーターボロ周辺で働いていた。1928-36年の期間にジョンソン・モーターやアウトボード・マリン(ボートエンジンの製造会社、現ボンバルディアの傘下)が従来の産業から新しく誕生した。
ピーターボロはナイアガラの滝の発電所よりも早く、カナダ国内で最初に水力発電所が運転された場所のひとつ。このため、この都市では電力業界を通しても町の発展をみることができる。安い電力資源が手に入ったことから、この利点を生かすため、エジソン・ゼネラル・エレクトリック(後のゼネラル・エレクトリック・カナダ)とアメリカ・シリアル(後のクエーカーオーツカンパニー、2001年にペプシコが買収)が進出した。
1904年、オトナビー川の東岸に位置するアシュバーナムの村 (Village of Ashburnham) がピーターボロに併合された。このエリアは現在でも地元の人々の間では東町 ("East City") と呼ばれる。このため、時折、地元民の間では地元経済や住宅地において、「イースト・シティ」と市中心部を比較して区別することがある。
1905年、カナダ建国記念日のドミニオン・デー(現在のカナダ・デー)にあたる7月1日に、ピーターボロは市制となった(当時の人口およそ1万4,300人)。市の旗と紋章は1951年に採用された。
1970年代、オンタリオ州政府がオンタリオ・ダウンタウン・リニューアル・プログラム (Ontario Downtown Renewal Programme, ODRP) の一環として、州の助成金をもとにピーターボロ・スクエア (Peterborough Square) が建設された。このモールは旧イートンセンター (Eaton Centre) を主体としている。コールセンターICTカナダが大部分の空き店舗スペースを手に入れ、他の残されたエリアはオフィススペースに割り当てられた。
最近になって、連邦政府は天然資源省の本部をダウンタウン(通りを挟んでピーターボロ・スクエアの向かい)に移転させた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ピーターボロ (オンタリオ州)」の詳細全文を読む




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